子どもの名前

みなさま、ごきげんよう。

私には今年三歳になる娘がいますが、この春から、児童教室に通い始めました。毎回様々な面白い企画を用意されており、親子共々楽しんでいるところです。その教室では我が家を含み19組の親子が一緒に学んでいます。

そして、私が密かに注目していること、それは子どもの名前です。

近年「キラキラネーム」や「DQN(ドキュン)ネーム」と呼ばれる、華やかで個性的な名前が取り沙汰されています。キラキラネームとは 「戸籍上の人名」(本名)として、一般常識に著しく反する(とされる)「珍しい名前」に対し、蔑視的に用いられるインターネットスラングのことです。

数年前に「心愛」という名前を子どもに名付ける親が急増しました。「心」という漢字は、本来「こころ」と読みますが「ここ-ろ」とぶった切り「愛」は、本来「あい」と読みますが「あ-い」とぶった切りをして「ここあ」と読ませるようです。また、同じ漢字で、ここな、ここみ、こあ、などと読む名前もあるようです。「愛」という漢字を、英語の「ラ-ブ」とぶった切り「ら」と読ませる方も一定数おられることに驚きを隠せません。例えば、晴愛(せいら)、咲愛(さら)など。

また「光宙」と書いて「ぴかちゅう」「黄熊」と書いて「ぷう」「今鹿」と書いて「なうしか」のような、本当にそんな名前の人が実在するの!?と疑うような名前を我が子に名付ける人もいます。

名前は、初対面の人に初めて伝える情報の一つであり、最近ではキラキラネームは、結婚や就職活動に影響を及ぼすとの意見もあります。
人に読めない名前は、社会生活で混乱を起こし、多くの人に迷惑をかけます。しかしながら「読めなくて何故いけないのですか」と言われる方もいます。この場合、その名前自体が良いか悪いかを議論しても無駄です。何故いけないのかわからない、ということが問題なのです。

子どもの将来のことを考えると、きちんと他人から正しく読んで貰える名前をつけるべきだと思いますね。

踊らにゃ損々

みなさま、ごきげんよう。

みなさまは、下のような言葉を聞いたことがあるでしょうか。


「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損々」


これは、徳島の阿波踊り歌の出だしのフレーズです。
阿波踊りとは、三味線 、太鼓、鉦鼓(しょうこ)、篠笛(ささぶえ)などの2拍子の伴奏にのって連(れん)と呼ばれる踊り手の集団が踊り歩く。
えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々…と唄われる「よしこの節」で知られています。

歌詞の意味はそのままですが、 踊っている人を阿呆だと思って見ているが、それを見ている人も阿呆。
同じ阿呆なのだから、踊った方が楽しいよ、という意味です。

そこから、他人の言動を馬鹿にしたり嘲笑ったりする人生より、己の信念や志を実行に移せる人生の方が楽しいから、まずはやってみなさい、といった意味として、現在でも、阿波踊り以外の場所でも、この言葉を耳にする機会が多くあります。


この言葉を知った当時高校一年生だった私は、大変感銘を受けました。

当時の私は、人気の歌手や芸能人に夢中になり、流行をいち早く取り入れる友人達を、大変冷ややかな目で見ていました。
また、大人数でいつも賑やかにしている同級生に対しては苦手意識が強く、羨ましい反面、絶対に相容れないぞと固く決意していました。

騒がしいのは嫌い。学校行事に熱くなるのはかっこ悪い。文化祭やクラスマッチは、常に興味のない素振り。修学旅行の計画や化学の授業での実験も「私は何をすれば良いかしら」との受け身の姿勢。
必死になるほどやりたいものはないけれど、とりあえず、与えられた仕事は無難にやり遂げる。

完全に若気の至りですが、出来ないのではなく、やらないのだ。との思いで毎日を過ごしていました。

そんな日々の中で知ったこの言葉。私は考えました。今、人生を損しているのか、どうか。


それから先は、少しは前向きに物事に取り組むようになった気がします。
今でも、どうしようか躊躇した時、この言葉を思い出して、勇気を貰います。

なにせ、私は出来ないのではなくやらないだけですから、やろうと思えば出来るのです。笑

仕合わせ

みなさま、ごきげんよう。

爽やかな初夏の風が部屋を通り抜ける季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

今朝は、心がほっこりする美しい日本語を紹介いたします。


○「風光明媚」ふうこうめいび
自然の景色が美しいこと。また、そのさま。
このブログのタイトルにもなっている四文字熟語です。まさに、このタイトルのように、壮大で豊かな気持ちで、これから記事を更新していきます。

●「面映ゆい」おもはゆい
照れくさいという意味。顔をあわせるのが恥ずかしい。ばつが悪い。
一説では、面映ゆい→顔映ゆい→かおはゆい→かわいいという言葉になったといわれています。
顔がほてる気持ちの意から、物をまともに見るに耐えない、相手をいとしく思うの意に転じ、可愛いと言われるようになりました。
「可愛い」という漢字は当て字だそうです。

○「晴れ晴れしい」はればれしい
1 晴れ渡っているさま。すっきりと明るいさま。
2 心にわずらいなどがなく晴れやかなさま。
3 表立っているさま。改まったさま。
この言葉も大好きな言葉の一つです。私も晴れ晴れしい気持ちで毎日を過ごしたいと思っています。

●「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」
芍薬も牡丹も共に美しい花で、百合は清楚なイメージの代表花です。
芍薬はすらりと伸びた茎の先端に華麗な花を咲かせ、牡丹は枝分かれした横向きの枝に花をつける。百合は風を受けて揺れるさまが美しいことから、 美人の姿や振る舞いを花に見立てていました。
私は、チビでがさつなので、差し詰め「立てばリンドウ、座ればパンジー、歩く姿はガーベラの花」あたりが妥当かしら。

○「山笑う」やまわらう
早春の山の木々が次第に芽吹き、山全体が明るく輝いて笑っているように見えるようす。また、山そのものが笑みを浮かべているようなさまを意味している。
山笑うは、俳句や短歌で春の季語として使われます。この言葉を思い付いた方は、この上なく感性豊かで洞察力のある人なのでしょうね。

●「仕合わせ」しあわせ
1 めぐりあわせがよいこと。
2 めぐりあわせ。運命。
3 ことの次第。始末。
私は「幸せ」という漢字よりも「仕合わせ」という言葉の方を好んで使っています。たまに友人から打ち間違いだと勘違いされますけど。
例えば、最愛の結婚相手や、仕事や趣味での良きパートナーとの出会い、人が関わる喜びごとは「仕合わせ」以外に表現のしようがありません。


みなさまに、一つでも多くの、仕合わせが訪れますよう心を込めて……

足らず余らず子三人

みなさま、ごきげんよう。

本日は、数名のご婦人方とお話をする機会がありました。
その中で、小学五年生、一年生、幼稚園年長の三人のお子さまがおられるご婦人が「未だに三人が、就寝の時は母親である自分の隣を取り合っている」と話して下さいました。
私は、小学一年生の頃から、両親と寝室は別で妹と二人で寝床についており、入浴も一人が当たり前の生活環境であったため、親と一緒が良いなんて考えたこともなかったので、大変驚きました。
何はともあれ、家族が仲良きことは美しいことです。


さて、三兄弟といえば「足らず余らず子三人」という諺があります。
収入は少な過ぎず多すぎずで、子どもは三人というのが、楽しく暮らしていくのに丁度良いという意味です。

他にも似たような意味を持つ諺はいくつもあります。
例えば「三人子持ちは笑うて暮らす」「子どもを持つなら三人持て」「死なぬ子三人皆孝行」など。
諺の意味は、概ねみなさまが想像なさる通りだと思います。

また「一姫二太郎」という諺は有名ですが、最近誤用されている方が増えているようですね。
正しい意味は、子どもは一人目が女の子で、二人目が男の子なのが理想的だ、という意味です。それが、子どもは女の子一人、男の子二人いるのが理想的だ、という解釈をしている方がおられるようです。

我が家の第一子は娘でしたので、二人目が息子だと理想の兄弟像になりますね。
しかし、やはり、子ども三人は憧れます。明るい家庭になりそうですよね。

月の和名

みなさま、ごきげんよう。

この度は、月の和名を紹介したいと思います。
私達は余り意識していませんが、一月、二月、三月……と数字の順で月の名称としている民族は少ないようです。

月の和名は、覚えていても使う機会が余りなく、必要性を感じていない人もいるかも知れません。また、どうしてそのような名称になったのかを考えたことがない方も多くおられると想像します。
しかし、現在でも、子どもの名前を考える時、月の和名を由来とすることも少なくありません。なんとなく、月を和名で表現すると、高貴で雅な雰囲気に感じるのは、私だけでしょうか。

それでは、さっそく紹介したいと思います。


○「睦月」むつき
一月のこと。互いに往来して睦まじくするところから。

●「如月」きさらぎ
二月のこと。寒さのため、衣を重ねるところから、衣更着(きさらぎ)。

○「弥生」やよい
三月のこと。イヤオイ(草木が生い茂ること)が変化したもの。

●「卯月」うづき
四月のこと。卯の花月から。

○「皐月」さつき
五月のこと。早苗月(さなえつき)の略。
「皐」という感じは、白い光を放出する様子を表しているとのこと。

●「水無月」みなづき
六月のこと。暑さで水が涸れるところから、水無月(みずなしづき)。

○「文月」ふみづき
七月のこと。稲の穂の含月(ふくみづき)から。

●「葉月」はづき
八月のこと。稲の穂をはる月から。

○「長月」ながつき
九月のこと。稲刈月(いなかりつき)の略。

●「神無月」かみなづき
十月のこと。神無月の「無・な」が「の」にあたる連体助詞「な」で「神の月」から。出雲大社に全国の神が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神がいなくなるという説は、中世以降、出雲大社の御師が全国に広めた民間語源とされる。
出雲地域などのいくつかの地域では、神在月といわれている。

○「霜月」しもつき
十一月のこと。霜降月(しもふりつき)の略。

●「師走」しわす
十二月のこと。師匠の僧がお経をあげるために、東西を馳せる月と解釈する、師馳す(しはす)から。


さて、みなさまはきちんと把握しておられたでしょうか。

私は、神無月の神様が出雲へ出張説。今日まで信じていましたよ……
由来などに関しては、さまざまな説があるので、このブログが、絶対に正しい訳ではありません。
多くの書物に目を通して、どの説が有力かどうか、友人達と語り合うのも楽しそうだなと考える今日この頃であります。

美しい日本語上級者を目指し中です

みなさま、ごきげんよう。

この度は、私のブログにお越し頂き、ありがとうございます。
このブログは、しがない日本語オタクの専業主婦による、素敵な日本語を書き留め、考え、広めていく為のステージです。
幼い頃から読書が好きで、小説家や新聞記者を夢見て、大学では日本語学日本文学科に進学。日本語学を専攻し、卒業論文では、初対面の相手が話しやすいと感じる話し方の研究をしました。
今では二歳の娘の子育てに励む毎日ですが、お陰様で、文章を書く機会は多く与えられて頂いています。

しかし、私は文章力がまるでない。
十代の頃は「私ってなかなか文才がある♪」と勘違いをしており、流行りの文学小説を読んでは、これくらい私でも書ける。。と思っていた時期もありました。
しかし、大学時代、研究室の講師に「このゼミの人達は本当に文章力がありませんね」と言われ、やっと目が覚めました。
それからも、結局、文章力は向上しないまま、大学を卒業し、現在に至ります。

その為か、大和言葉、正しい言葉遣い、お嬢様らしい話し言葉、季節の挨拶、拝啓、かしこ、全てに憧れます。
美しい日本語が大好きです。
古文や小難しい作品は苦手ですが、美しい日本語、言い回し、熟語などは、どんどん知りたいし、覚えたいし、使いたい。

これから、このステージを、私の成長の記録として、一回一回を大切に、刻んでいきたいと思います。

それでは、みなさまで素敵な日本語上級者になれますよう、共に励んでいきましょう。